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2011年9月27日 (火)

沈黙の終着駅──日中線記念館を訪れる

突然ですが…。去る9月12日から13日に掛けて、会津地方へ行って来ました。更新再開一発目となる今回は、その道中の記録からご紹介したいと思います。

磐越西線喜多方より分岐し、熱塩まで走っていた「日中線」。壮大な路線構想があったにも関わらず、国鉄民営化を目前にしながらも消えて行ったこのローカル線の遺構は、山奥の閑散とした所にありました。

日中線記念館…いえ、ここでは「旧熱塩駅」、と言うことにします。

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記念館内に残る駅名板。

喜多方駅前より熱塩・日中(千石沢)行きのバスに揺られること30分。「日中線記念館前」と書かれた標識がぽつんと立つバス停に降り立つと、上り坂の先に見える洒落た建物が…。

これが「日中線記念館」──旧熱塩駅です。

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木立の中にひっそりと佇む旧熱塩駅駅舎。

木々の間に、その建物はありました。赤い屋根、小さな改札口、古風な窓。まるで、おとぎ話に出てくる汽車の駅の様です。

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ここで、日中線のことを少し。

日中線は、先に述べた通り、磐越西線喜多方駅から、熱塩駅までの11.6kmを結んでいた路線です。大正11年に公布された「改正鉄道敷設法」の中で、「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐡道」として規定された路線で、1938年に開業しました。

上の文章にある通り、もともと日中線は、米沢から喜多方を結ぶ路線として規定された路線でした。更にこの日中線は、広大な路線計画、「野岩羽線構想」と呼ばれるものの一部でもあったのです。

野岩羽線計画に関しては後半で紹介することにして、日中線記念館に戻りたいと思います。

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現役当時のまま残る改札口。

「日中線記念館」と書かれた看板の奥には、懐かしい雰囲気の漂う改札口が現役当時のまま残されていました。更に左側を見ると…?

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全部そのまま。

出札口も、そのまま残されていました。私自身は現役の頃を全く知らないのですが、ここを知る方の文章を拝見する限り、かなり現役当時の面影が残っているんだそうです。活気のあった頃の熱塩駅…訪れてみたかったものです。

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ここで、先ほどの続きを。

「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐡道」と規定され、その一部として開業した日中線。ですが、この路線は同時に、「野岩羽線構想」と呼ばれる壮大な計画の一端を担う存在でもあったのです。

「栃木縣今市ヨリ高徳ヲ經テ福島縣田島ニ至ル鐵道(現在の東武鬼怒川線、野岩鉄道線)」、「栃木縣鹿沼ヨリ栃木ヲ經テ茨城縣古河ニ至ル鐵道(現在の東武日光線)」、それに軽便鉄道法で計画された会津線(現在の会津鉄道線)を踏まえての、米沢から古河を結ぶ一大鉄道路線計画…これが、「野岩羽線構想」でした。つまり、古河(計画上は東北本線の古河)から分岐し、会津を経て奥羽方面へと抜ける、言わば“東北縦貫鉄道計画”だったのです。

こうした背景の下で、日中線は1938年に喜多方~熱塩間が開業します。日中線の名は熱塩の少し先にある日中温泉に由来していますが、まずは手前の熱塩までの開業し、6往復が設定されました。

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駅舎内に展示されている品々。

記念館となっている駅舎内には、日中線をはじめとした会津地方の鉄道に関連した資料等が多く展示されていました。制服がそのまま残されていたり、乗車券箱がそのまま置いてあったりと、とにかく現役の頃の姿がそのまま残されていたのが強く印象に残りました。

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美しく保たれている熱塩駅のホーム。

先ほど紹介した改札からホームへ出て、かつての本線へ。ホーム上は、綺麗に整備されていました。構内に線路はありませんが、このホームを見ているだけでも、当時の情景を思い浮かべることができます。。。

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築堤の造成などは日中まで行われ、順調に工事が進むと思われた矢先。第二次世界大戦が勃発し、工事は中断してしまいます。

戦後すぐに、運転本数がそれまでの半分の3往復(朝夕夜に各1往復)となりました。ことことから、「日中線」の路線名にも関わらず日中に列車が走らないということで、「日中走らぬ日中線」等と揶揄されたこともあったとか。

戦争が終わっても、延伸工事が再開されることはありませんでした。結局、日中線はあまりにも中途半端な状態で途切れてしまうことになったのです。

使いやすい時間に運行される列車も無ければ、利用客も少ない…そんな、赤字ローカル線の典型例の様な路線となってしまった日中線は、とうとう東北一の赤字路線へと転落してしまいます。

本州最後のSL運行路線としてSLブームには多数の鉄道ファンが訪れたものの、1974年にはSLの運行が終了。1981年には第一次特定地方交通線に指定され、1983年には喜多方~会津加納間の貨物営業が廃止され、日中線はどんどん廃線へと近づいていくのでした。

そして。

1984年3月31日、「さようなら日中線号」の運転を最後に、日中線は46年の歴史に幕を下ろしたのです。

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ホームの隅に佇む駅名表。

ホームの米沢寄りの先端には、駅名表が残されていました。左下には、どんな駅名が入る予定だったのでしょうか。

埋まることの無かった空白。薄汚れた駅名板は、廃止から25年以上が経った今でも、来ることの無い列車を待ち続けていました。。

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多くの人々の期待を背負いながらも、夢半ばで力尽きた盲腸線、日中線。もしこの路線が米沢まで開業していたら、鉄道地図は現在とは大きく異なっていたことでしょう。

開業していたら一度は乗ってみたかったものですが、叶わぬ夢…。

続いては、構内に保存されている車両達をご紹介します。


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