あの人に看取られて──3000系“流星”の最期
久しぶりに「受験期」のタグを使用する記事となります。
昨年10月23日。青空の広がる中、流鉄流山駅の片隅にて、ある作業が行われていました。
少し前の記事でもお知らせした通り、昨年の8月末にさよなら運転が行われた、流鉄3000系第1編成。引退後も暫く庫内に留置されていた同編成ですが、この前後で解体・搬出作業が本格化し、この日も作業が行われていたのです。
お世話になった同編成の最期の姿を見送るため、流山まで足を延ばした私の眼前に広がったのは、衝撃的な光景でした。
※「続きを読む」以降、解体シーンを含む衝撃的な画像を掲載してございます。かなりショッキングな画像なので、見られるかどうかの判断は各自皆様に全て一任させていただきます。なお、以下の画像を見たことによる精神的、身体的な影響に関し、管理人は一切責任を負いかねますのでご了承ください。
「“流星”が解体に入った」と言う情報を確認したのは、前日のことでした。既に、クモハ3001が搬出され、続いてクハ31が解体線に入ったと言うことだったので、どんな状況になっているのかと思い、翌日訪れてみました。
馬橋から“青空”に揺られ、流山駅構内に入線した瞬間。車窓に、とても衝撃的な光景が広がりました。
到着するやいなや、慌てて改札を出場し、駅の上に架かる跨線橋へ。そこから下を覗くと、先ほどの衝撃的な光景がありました。
半分に切断され、無残な姿を晒していたクハ31(流山駅構内)。
そこにあったのは、車体を半分に切断されたクハ31の姿でした。特に、前半分は線路に垂直に直置きされ、既に吊り上げるためのロープが通された状態でした。
跨線橋を下りて本社前へ行くと、補強用の鉄板の敷き詰められた本社前に巨大なクレーン車が待機しており、その奥にぽつんと、クハ31の前半分が鎮座していました。
青空の下で、静かにその時を待つ。
この時は丁度お昼休みで、作業員の方は直置きされた前半分の中などで食事をとったり寝そべったりしていました。寂しい光景のはずですが、少しだけほのぼの。クハ31の最後のご奉仕…と言ったところでしょうか。
さて、13時近くになり、大型トラックが到着。そして、クレーン車にも作業員の方が乗り込み、13時少し前から作業が再開されました。
すぐに、前半分の吊り上げが開始され…。
トラックへの据え付けが完了しました。その時間、僅か10分。
そして、すぐにトラックに作業員の方が乗り込み、エンジンがかかり…。
クハ31の前半分は、解体場へと向けて走り去っていったのでした。。。
この後、検修庫側へ回ってみると、こんな並びを見ることが出来ました。
“流星”同士の並び。
後は解体されるのみの二代目“流星”と、まだ営業運転に入っていない三代目“流星”が、並んでいました。こう見ると、全く色調が違うのが分かります。落ち着いた印象であった二代目に比べ、明るい色使いが特徴的な三代目“流星”。この時はまだ整備中でしたが、現在は主力として運用されています。
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一両の車両が、役目を終えて線路上からその姿を消していく。今まで、世界中で何千、何億回と繰り返されてきたことですが、40年走り続けてきた“重み”を感じながらの記録となりました。
線路上からは姿を消してしまいましたが、その姿は多くの人の胸に焼き付けられていることでしょう。二代目“流星”、お疲れさま。
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